アートは路地裏に宿る。大阪・西成の「喫茶あたりや」で、日常と創造が溶け合う一杯を。
- 隼吏 宮崎
- 9月1日
- 読了時間: 5分

大阪メトロの動物園前駅から歩いて数分。JRと南海電車の高架が交差し、ひっきりなしに電車の音が響く街、西成区山王。昭和の面影を残す商店街を抜け、細い路地に入ると、そこには、Study:大阪関西国際芸術祭2025の会場の一つ「喫茶あたりや」が静かに佇んでいる。
ベースとなっている建物は築約100年、大阪大空襲の戦火を免れた木造建築「山王ハモニカ長屋」だ。名前にもあるように、24軒の住戸が楽器のハーモニカのように向かい合って並ぶ一角に「喫茶あたりや」がある。
その名前の通り、喫茶のような空間でもあり、芸術祭の会場でもある。実際に訪れてみるとそこは、鑑賞を通じてこの土地の記憶、そこに集う人々の哲学、そして未来への問いが溶け合う、静かな実験の場だった。
場所の力:日本の「ゾミア」としての西成
このプロジェクトをキュレーションするのは、アジアのアーティストたちのネットワーク「プロダクション・ゾミア」 。
彼らの思想の根底には、「ゾミア」という概念がある。これは、東南アジアの山岳地帯に暮らし、国家の支配から巧みに逃れてきた人々「ゾーミ」に由来する言葉だ 。
筆者はこの言葉を知ったとき、思わず、大阪の地で独自の規範を育んできた西成の文化と、ゾーミたちのもつ「国家という大きなルールから、するりとかわす知恵」は、遠く離れた地で共鳴し合っているのかもしれない、と感じた。それは、西成が日本における「ゾミア」として重ねられているようでもある。
西成周辺の歴史研究の資料を紐解くと、西成は20世紀初頭、都市の再開発によって行き場を失った人々を受け入れる木賃宿(きちんやど)の街として形成され、戦後の高度経済成長期には日本最大の日雇い労働者の街「ドヤ街」へと変貌したことがわかる。劣悪な労働環境への不満は時に暴動として噴出し、ときに社会との間に緊張をはらんできた。
そしてバブル崩壊後、仕事が激減すると「福祉の街」へと姿を変え、多くの人々が公的扶助を頼りに暮らすようになった 。
あべのハルカスや天王寺駅といった大都会のほど近くに位置するにもかかわらず、西成の街を歩けばたちまち、全く異なる時間の流れを感じることになる。都会的な志向からはどこか取り残されたような雰囲気を漂わせながらも、訪れた人を懐かしい気持ちにさせる、不思議な引力をもつ街だ。

さて、この土地には西成を象徴するもう一つのムーブメントが存在する。上田假奈代氏が主宰する「釜ヶ崎芸術大学」、通称「釜芸」だ。「学びあいたい人がいれば、そこが大学」を合言葉に、誰もが無料で参加できるこのストリートの大学では、俳句から天文学まで多彩な講座が開かれ、先生と生徒の垣根はない。
こうしたローカルな実践をふまえて見えてくる、自由な土地としての西成のアイデンティティは、同じく国家の周縁で独自の文化を育んできた人々にも通じるものなのかもしれない。
事実、西成の街を歩くと、近年その風景が少しずつ変わりつつあることに気づかされる。海外にルーツを持つ家族や若者が、生活者として地域に根を下ろすケースが増えているのだ。彼らは街の新たな担い手として静かに、しかし確実にコミュニティの一員となっている。

芸術祭がはじまった2025年春、「喫茶あたりや」でのアーティスト・イン・レジデンスにミャンマーのチン族/ゾー族出身のアーティスト、ソウチャン・トゥーサン氏が招かれたのは、多様な人々を受け入れている西成の懐の深さが、一つの形になったものと言えるだろう。地理的な「ゾミア」から来た彼は、まさに「ゾーミ」そのものといえる。

彼はメーデーに、自らを「釜ヶ崎にまつわる7体の霊(妖怪)の媒介者」と位置づけ、街の象徴的な場所を巡るパフォーマンス『anattā / アナタ』(私はあなたです)を「儀式」として捧げた。喫茶あたりやの2階では、彼のルーツであるチン族の織物を展示 。彼自身の歴史と西成という土地の記憶が、アートを介して静かに結びつけられた。
彼のアーティスト・イン・レジデンスの会期(2025年4月10日〜 6月5日)は既に終了したが、「喫茶あたりや」では異なる文化圏から生まれた多様な表現の展開を目にすることができる。
作品は「関係性」そのもの
「喫茶あたりや」のテーマは「まえとうしろ、まんなかとすみっこ」。
プロダクション・ゾミアが語る
「ほんとうに過去は後ろに置いていかれ前には未来しかないのでしょうか」
という言葉は、2025年の大阪・関西万博が掲げる未来の物語に対し、静かな問いを投げかける。
このプロジェクトの作品は、展示された絵画やオブジェ、パフォーマンスにはとどまらない。それは、アジアから訪れた作品と鑑賞者、あるいはこの街の住民たちが、(ときにはお茶を飲みながら)交わすコミュニケーションそのものだ 。

昔ながらの長屋の面影を残す、急な階段を上った2階の部屋で、人々は失われつつあるものを見つめ、まだ来ぬ未来について語り合ったり、創作をしたりする。
私たちが真に大切にするべきなのは、完成されたモノとしての作品ではなく、人と人との間に新たなつながりを生み出す、生きたプロセスそのものなのかもしれないと、この場所は教えてくれる。
「喫茶あたりや」は、新たな創造と交流が生まれることを目指す実験的な空間だ。ただ訪れ、壁にかけられた作品を鑑賞するだけでは少しもったいない。せっかくであれば西成という土地、作品の背景にある文化に思いを馳せ、そばにいる誰かと語り合ってみてほしい。
西成を訪れた者は、きっと街から多くのエネルギーと知恵を受け取るだろう。アートというレンズを通してその過去と未来を見つめ返すこと。それが、私たち鑑賞者にできる、この街との誠実な対話なのかもしれない。
(著:宮崎隼吏)
(追記) 会期の最後を飾るリン・サン氏の滞在制作展〈第一更:月を待つ〉
8月から会期終了の10月13日まで、アーティスト・イン・レジデンスプログラムに参加中しているベトナム人アーティスト、リン・サン氏。その滞在制作展示〈第一更:月を待つ〉が、9月26日から喫茶あたりや2階で開催される。
※第一更とは古代中国に由来するアジアの伝統的な時刻法で、夜を2時間単位で五つの「更」(こう)に分け、第一更は午後7時に始まり、最後の第五更は午前5時に終わる

様々な人々や地域での営みとの出会いを起点に制作した、陶芸作品群および編み物にまつわる新作をインスタレーションとして発表する。 最後まで見どころの絶えないこの場所に、ぜひ多くの人に足を運んでいただきたい。
